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ひまよん。

blog explanation
うっかり注目しちゃったこととか。

Hora Hora, N?

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Bluesky のアカウント作れましたー。

年末にひとり寂しく公式に招待コードを申請していたのですが、
2/1 にようやく発行されたので、とりあえずアカウントだけ作った次第です。

穏やかでよいですね。

「ガンダム」で検索すると、さすがに毎日そこそこの数が投稿されてる模様。
SEED の映画直後というのもあるのかもですけど。

「ミクロマン」は数えるほどしかないですね。

情報収集にはまだ向かないけど、
ひとりごとを呟くにはよい環境なのではないでしょうか。


先週はすごい頭痛で寝込んでました。

昨日もちょっと駅前に買い物にいっただけでもう頭痛が。
仕方ないので少し寝たあと、頭を冷やしながら
なんか無料配信されてた攻殻機動隊 SAC とかぼんやり観たり。



少し前に、災害時にインスタント激辛ラーメンしか売ってないときは
付属のスープの代わりに水に醤油大さじ1と小さじ2、味の素 10 振り入れて煮ると
醤油ラーメンになるよ、みたいなのがあったじゃないですか。

まあ辛さよりも麵のほうが衛生的に不安視され叩かれていたようですが、
それはともかくスープはちょっと気になったので、
試しにスープだけ作って飲んでみたりしてました。

なるほど、何もないならこれでも、くらいの味。
やはり薄いのとコクがない感じは否めませんが、醤油と味の素だけでこんな味になるんだー、
とちょっと面白い感じでした。

自宅なら普通にスープの素になりそうなものはいろいろあるので、
3分ゆでるだけみたいな細いパスタとかをそうやって食べればいいのかな。


あと、イギリスとアメリカの紅茶戦争のとき、
「紅茶に塩で美味くなるなら、緑茶に塩もよいのでは?」
と緑茶にひとつまみ塩を入れて飲んでみたりもしてました。

なるほどまろやかになるけど虚無を飲んでる感じになってすごくまずい。


ゆいぽん卒コンで関係者席に漢字とひらがなの1期がほぼ揃っていたそうで。胸熱ですね。
ケヤカス亡霊が大量に発生しているのを眺めていたりもしてました。
よねが元気そうで何よりです。
流れでもんちゃんの最近の画像とか見たけど、ずいぶんおねえさんになりましたね。
昨日サムライトルーパーを観ていて、当時のもんちゃん、烈火のリョウの顔にちょっと雰囲気似てたな
とか思ったりもしました。


原作改変のやつは痛ましい結果になりましたね。
業界の事情とか知らないのでこれはあくまでも個人の妄想ですが、
TVドラマの内容改変と映画やアニメがクソなのは
少し分けて考えたほうがよいのではと思ったりもしました。

TVドラマの場合、基本的には次の2つの要素が原作の改変をもたらす気がします。

 ・数字のとれる役者にあてがう舞台・コンセプトが必要とされていて、その素材が原作という感覚
 ・CMが想定する視聴者層を多く獲得するために、想定視聴者層向けの要素を増量する風潮

数字のとれる役者を使うのもCM枠を維持するためですよね。
その役者の見せ場を多く作るために、作品を役者側に寄せていくことも大いにありそうな。

もしかしたら力の強い芸能事務所から、
うちの役者の出番を増やせなんて圧力もあったりするのかも?
どちらかというと広告代理店からの数字のための改変圧力のほうが強そうな気もしますがどうなのか。
やたらCM直前に出てくる人気者とかいたりしない?

原作どおりだと映像では尺や絵がもちそうにない場合、
原作にないキャラが追加されたりすることもありそうですね。昭和のアニメによくあった気がします。
TVドラマだと原作にない恋愛要素のための要員とかありそう。ストーリーの展開には直接影響しない的な。
原作が完結していない場合に規定の放送回数でそれなりの最終回を作るために使われてたりもしそう。

ちなみに子供向けアニメや特撮だと「販促」という概念があったりもしますね。

上の2点と販促のすべてに影響されてそうなのがアニメ版『赤ずきんチャチャ』だったりしますが、
まあ、あそこまで別物だとさすがに著者も了解してるだろうし、割り切ることもできていそうな気も。

聖矢の聖衣がヘルメット型になったのはわかりやすさと玩具化しやすさからなのかな。
いまとなってみれば「教皇」だけでは子供が書くのも難しいので
「アーレス」という名前が必要だったのかなという気もしたり。

超人の色はなぜ変えたのか。
オリジナルストーリー多いのは原作に追いつくと困るからなのはわかるとして。


ちょっと話がそれましたが、TVドラマに関してはそんな感じで
原作改変が前提になってるんじゃないかなー、という気がしたりでした。

出版社側はお金出してないので意見とか軽く見られてそうですよね。
本の宣伝効果とのバーターで長年いろいろ目をつぶってきた結果が現状のような。


実写映画の場合はCMはないけど、そのぶん役者で数字を稼ぐ傾向は強そうな気がします。
原作ファンよりも役者やアイドルオタクのほうが購買力が強いとみなされているので、
そんな感じの邦画が多いんじゃないのかしらん。

あと、実写は舞台演劇の延長みたいなところもあるので、
テーマ性とかアート性みたいな監督の自我が反映されたりするものも多そうな気はします。
そういうのがないと雑誌で評論家がとりあげてくれないみたいな話も昔はあったような。
漫画原作の時点でそんな権威つかないような気もしますが。


改変前提だった昭和の昔はいざしらず、
昨今のTVアニメや実写特撮が駄目な場合はだいたい予算と納期の問題のような気がするのですが、
監督や演出家が作家性を出すのが軋轢を生んでいるということもまだあるみたいですね。

出崎統みたいなタイプはいまの世ではもう監督させてもらえないのかも。

アニメ映画がひどいのはまあ概ね監督とプロデューサーのせいでありましょう。


念のため云っておきますけど、今回の件で脚本家を擁護する気はもちろんまったくないですよ。

しかしまあ、漫画のTVドラマ化というのは
そもそもそういう改変リスクが著しく高いものだということを
著者にきちんと説明できなかった出版社側の責任は大きいんじゃないかなあ、
と感じたりもしたりでした。

もちろん担当編集者を責めてるわけでもありません。
社としてそういう方針になっていない、編集者にそういう教育をしていない、
そういうところが問題なのでは、と感じてるということです。

だって契約書結んだって改変止められないわけでしょ(もしかしたら契約書はないのかも……)。

アメリカみたいに契約エージェントが間に入ってればこういうことは防げたりするのかしらん。
そういう時代になっていくのかな。

対価は宣伝効果、みたいなのを許容するのがもう難しい時代になっていくのかもですね。
他の番組の取材なんかでもそういう話をよく目にするようになった気がします。

雑誌とかすでに宣伝効果もなさそうなので、取材記事を書くのも大変そうですね。
おいたわしや。


念のため繰り返しておきますが、あくまでも個人の妄想です。
実情はまったく知りません。

ただまあ戦後文化史的にもたいへん大きな事件だと思うので、
やはりいろいろ考えちゃったな、ということで。



今日は髪を切って、頭痛薬を飲んで動画をちょこちょこ観たりしてました。

ヤフオクだかメルカリだかで安く買った台湾の硬貨で
台湾旅行に行って金を買ってくる(台湾は金の購入が無税)という動画とか。
なんかいろんなものから金銀の精錬をずっとやってるひとらしく、
ヤフオクで安く買った金箔をバーナーで溶かして金の塊にしたりもしてました。
ジャンクパーツの金メッキとかも溶かして金を抽出してるらしい。すごい。

手に技のあるひとの動画はやっぱり面白いですね。



そんな感じです。

であ。
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